俄歩
「山に登ること」 は、与えられた条件の中で新しい経験を積むことに 他ならない。 だから、  自然と向き合える体力  自然を味わえる感性  自然に応えられる知力 を大切にしたい。
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俄歩人 (がふと)

Author:俄歩人 (がふと)
 学生時代に歩いた山、
歩きそびれた山々、
かって妻と歩いた山をひとり
静かにたのしんでいます。
年に一度、写真集「岳と花」を
記載。
(さいたま市 浦和 在住)



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物見岩
P1060193.jpg 神津牧場の牧草地と西上州の岩峰群   (写真はクリックして拡大して下さい)

 上州(群馬県)、とりわけ西上州からはヒトツバナ(アカヤシオ)祭りの便りが聞こえてきた。
碧岩や立岩の岩峰を歩いた折にお世話になった宿からも「これからが見頃です」と
連絡が入った。
 これ等の岩峰は 孫娘を連れて歩くにはいささか危険な岩尾根なので、
以前連れて歩いた神津牧場周辺でも・・・と、週末我が家に泊りに来ていた孫娘Meiを
誘ってみたが、あっさりと断られてしまった。

 ひとりで歩くなら平日の静かな時に・・・と、姫街道から荒船山の艫岩を見上げ、
神津牧場に車を止め 荒船風穴と物見岩を散策した。

P1060184.jpg 荒船山の艫岩

 「荒船の風穴」は 富士の裾野や山岳各地に見られる自然現象で形作られた 冷気が
吹き出す風穴ではなく、人の手によって天然の冷気を利用するために掘られたもので、
昨年、世界文化遺産として登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」に位置づけられた遺構
のひとつ。
「蚕種(蚕の卵)を冷蔵貯蔵」するための文化的な施設である。
 山あいの冷気が吹きだす谷筋に掘られ、周囲を石積みで四角く囲った大穴で
昭和初期まで利用されていたとのこと。

P1060185.jpg P1060187.jpg P1060186.jpg
冷気の吹き出し口と冷蔵貯蔵するための石積みの大穴

P1060188.jpg 筒鳥の声が静かに響く風穴の里




P1060196.jpg P1060194.jpg 物見岩への登山道

 牧場から物見岩への登りでは 木々の新芽はまだ固く、中腹の雑木林は
灰褐色のままであった。

P1060195.jpg 物見岩の三角点(1315m)

 はやくも夏日をおもわせる暑い日差しのもと、風が心地よく渡る物見岩で 周囲を眺めながら
しばし休息する。

P1060197.jpg P1060198.jpg P1060201.jpg
指呼の間の物見山  雪面を残す前掛山・浅間山  高岩方面

P1060203.jpg P1060204.jpg 東に神津牧場 南に内山牧場を見下ろす

 暖められた大地からの水蒸気の靄に包まれ 判然としない高嶺と同じように
この先の私の山行計画は漠然としている。
 行楽シーズンを迎え 忙しく立ち働く牧場の方々を眺めながら、
仔馬の背にこわごわしがみつき 牛の行進にしり込みし バター作りに汗を流していた
まだ幼かった当時の孫娘の姿を想い出した日でもあった。




P1060190.jpg P1060189.jpg 神津牧場

(’15.4.27 歩く   写真はクリックして拡大して下さい)











坪山
P1060168.jpg ヒカゲツツジ   (写真はクリックして拡大して下さい)

 近郊の峰のミツバツツジやレンゲツツジの映像が届くなか、あでやかさは無くとも
清楚な色と姿のヒカゲツツジの群落を訪れようと、東京都の小菅村と山梨県上野原市
の境に小さく聳える坪山(1102m)に向かった。

 この峰は可憐なイワウチワと清楚なヒカゲツツジの群生で知られ、3年前に
歩いたことがある。
山頂からは 大菩薩嶺や白富士が望まれた。(拙ブログ2012年4月 記載)
 その時は まだ膨らんだ花芽のみの姿に残念な想いを抱く一方、
イワウチワの可憐な群落に心和む想いを味わったものだった。

 上野原~丹波山線の飯尾の里に車を止め、歩く支度をしていると
通りかかった里人が「今朝は大型観光バスが2台も来て 大勢のハイカーが
登っていき、朝から賑やかでしたよ」と教えてくれた。
小川沿いの道路わきには既に乗用車が20台以上、併せると平日でも相当な人数が
この小さな峰を歩いていることになる。狭い山頂は埋め尽くされてしまうことだろう。

 今年のヒカゲツツジの具合を尋ねると 残念そうに「冬の大雪により花つきも
よくなかったし、この4月初めの春の雪でさらにダメージを受けてしまった」と言う。
今回も駄目だったかと気落ちしたが、ともかく群生地まで確かめに往こうと
足を踏み出す。

P1060158.jpg P1060181.jpg P1060183.jpg 飯尾の里

 まさに春うらら、長閑な飯尾の里を抜け登山道に踏み入る。

登山道 点描
P1060160.jpg    P1060179.jpg P1060163.jpg P1060176.jpg

P1060162.jpg P1060178.jpg

 小さな沢を渡り フデリンドウやヒトリシズカ、スミレなどが縁取る小路を歩き
新緑を楽しみながら西尾根の急登をこなす。

 イワウチワの群生地に入るも やはり大雪のためか ウチワの葉も小さく 花は
既に終わっていた。わずかに咲き残った一株に見入る。

P1060175.jpg 名残りの一輪

 緑がかった淡い黄色のヒカゲツツジ、高嶺のキバナシャクナゲを彷彿とさせる花の姿で
シャクナゲ科に属する。
残念ながら 里人が教えてくれたような有様だった。

P1060166.jpg P1060168_20150423112506121.jpg P1060169.jpg

P1060171.jpg P1060172.jpg P1060173.jpg P1060167.jpg

 しばらくこのやるせない風情のなかに佇んだあと 踵を返した。
帰途は 鶴峠を越え 小菅村を散策、里山の幸を入手して帰宅した。
(’15.4.22 歩く)

追記:’12年のイワウチワ
P1030664_20150423113251021.jpg P1030644_20150423113344630.jpg        (写真はクリックして拡大してください)
 
















 

 

城ヶ島
P1060152 (2)

 陽春の陽だまりの中で潮の香を存分にかぎたい と神奈川県・三浦半島の
城ヶ島を訪れた。

 「雨がふるふる城ヶ島の磯に~」の北原白秋の詩で知られた城ヶ島。
半島の最南端、有料の大橋を渡る。
西に「城ヶ島」と東に「安房埼」の二つの灯台をもつ、相模灘に突き出した岩礁の
小さな島である。

P1060142 (2) P1060153 (2) P1060155 (2)

 岩礁に砕け散った潮が陽射しにキラキラと輝き、潮の香に満ちていた。

P1060150 (2) 和蝋燭のような安房埼灯台

 島の中央部は常緑樹と芝生に覆われ、幼子を遊ばせる母親と
磯では小魚を楽しむ老釣り人が それぞれの陽だまりの時を過ごしていた。

P1060151 (2) P1060145 (2) P1060146 (2)

 いつもははっきり見える対岸の房総半島や南方海上の伊豆大島は
春霞で判然としなかったが、澄んだ空気と潮の香に満ちた穏やかな散策が
楽しめた。            (写真はクリックして拡大して下さい  4.16歩く)









孫娘の帰国
 今日の首都圏は 桜吹雪と時ならぬ雪が共に舞い落ちる日となった。
旧蝋からこの春までとうとう山へ向かうことがなかった。
もともと年中行事の多い季節のうえに、用事や葬祭の重なりも多かった。

 もはやラッセル力のない身にとって例年にない多雪の便りも腰をひかせる
一因であったろう。
決して峰への情熱が無くなったわけではない。
しかし、老いとはやはり非情なものでもある。
今週、小さな手術を受け、経過も順調とのことで 幾つかの山行計画を
練り始めた。
足慣らしの峠越えとか 雪のない低山とか 地形図を眺める楽しさを味わっている。

 北アルプス三俣蓮華岳直下の三俣山荘のオーナー 伊藤正一氏の
「黒部の山賊」が復刻刊行され、何十年かぶりに この新本を入手した。
雲の平や鷲羽岳を訪れるときはいつもお世話になった三俣山荘、
妻を最初に伴って訪れたのはもう30年も昔のことである。
その時は雲の平日本庭園への取り付きの黒部源流の沢が 大雨で増水、
渡渉できず 山荘で連泊して戻ったものだった。
山荘の伊藤さんは この頃、山小屋の国有林使用料(地代)について
国と係争していらっしゃった。
 最近では 7年前、単独でこの山荘を基点に 鷲羽岳や新たに建立された
黒部源流の碑を確かめに歩いた(2008年7月 ブログ記載)。
北アルプス深部のこの地を歩き、三俣山荘のあの美味しいコーヒーを
ごちそうになるのは これが最後になるだろうと想いながら計画している。

 香港在住の孫娘Meiがママと共に3月中旬帰朝。
長男(Meiパパ)の大陸本土への転任を機に 女性陣は日本での生活に
戻ることになった。
再び我が家に近くなり、あちこち連れて歩く機会も増えることになりそうだ。

P1060141.jpg